言葉の虐待
子供相手だけでなく、すべての人間関係において、言葉は大きな影響を与える。
よくスーパーやモールなどで、子供が突然大きな声を出したり騒ぎ出したりする。
それを「やめなさい!!」「うるさい!!」とさらに大きな声で、怒鳴りつける母親をよく見かける。
子供は萎縮するどころか、さらに騒ぎ出し手に負えなくなる。
そして、手が出る。
手が出ては、最悪なのだが、言葉で子供を傷つけることは容易である。
虐待といっても内容は様々である
- 身体的虐待
一番わかりやすい言葉。
暴力などで身体を傷つけ、最悪の場合死に至るケースも多い。食事を与えないなども該当する。直接、身体に影響を及ぼしてしまうものを指す。
テレビニュースでよく聞かれるのはこれ。
- 精神的虐待
言葉や行動で、恐怖などで子供の行動を制限し、自分の都合で子供と接してしまうケース。
冒頭の、スーパーで怒鳴りつける母親はこれに該当する。
ただし、子供の精神状態が幼く自我が芽生えるまでは、子供も気づかず、大きな影響を受けることはない。逆に親の言動の意味が理解できるようになった幼少期〜児童期はとても危険。一生涯において心に傷を負ったまま生きていくこととなる。
- 社会的虐待
精神的虐待からの延長でなり得るのがこれ。
子供が社会に出るための全てを親の立場が奪ってしまう行動。
例えば、過保護がすぎて「危ないからさせない」「失敗するからさせない」
〜させない。状態がずっと続いてしまう。
子供にとっては、親の機嫌や意見を伺いながら生活しなければ行けなくなり、心身ともに疲弊してくる。
この虐待をしている親に限って、「早く自立しなさい」などと言う。
- 経済的虐待
子供に無理やり経済面の全てを負担させる状態。
収入を得られる、青年期から発生するようになる。もちろん、上3つの虐待を経てこれに行き着くことがほとんどである。
個人的に言わせれば、子供はやりたくもないのに将来プロのアスリートになり莫大なお金を得ようとし必死にレッスンを受けさせている姿を、ゴルフ場で見かける。
あれも一種の経済的虐待の始まりなのかもしれない。
つい日頃忙しくて、「あれもダメ、これもダメ」と言ってしまいがち。
子供を守るため言ったことでも、それは子供の気持ちを抑えつける虐待ととられかねない。
相手の行動には全て意味がある。
それを考える余裕を持つことを忘れないでいたい。
子供の叱り方
子育てするにあたって子供目線に本当に立てていますか?
子供目線てもっと低い、想像よりもっと低い。
外食が嫌いな妻と仕方なく、成り行きで入った店での事。
我々も子供連れだったため、気の利く店員さんが、まあまあ奥の個室の様な、他のお客に迷惑がかからない場所に案内してもらった。
そこには、先客で1組のママ会が開かれていた。
ママ友2人、3歳くらい、1歳くらい、0歳の子供が2人、計5人の構成だった。
まあまあ若目のママさん達。
昔からの友達といった感じだった。
そもそもママ会って必要?
友達でいいやん。過去にこんな記事も書いた事がある。
そのママ会の片方のママの子供への叱り方が気になったので、考えてみた。
私たち、3人がおとなしくコソコソとご飯を食べていると(妻はこの時、すでに機嫌が悪くなっている。外食嫌いだから、口をきかないのだ)隣から、
「こら鉄平!!、それヤメなさい!💢』
ん?
おやおや、鉄平くんは何をしているのかな?ちらりと見ると…
スプーンで皿をツンツン。カンカン。
ん??
これで、何故怒られるんだろうか。
鉄平目線「?????」
僕は何故怒られているの?ママなんで怒ってるの??
つまらないから、皿でもツンツンして、ママに見てもらおうとしてたのに…😞
てな具合である。
ママは鉄平のツンツンの行為の意味も考えておらず、ただ自分目線でして欲しくないから、鉄平に対して、その皿を突く行為をヤメさせたかった様だ。
ここでは、子供の気持ちになってみれば、ママ会なんてとてもつまらない。
大人同士が訳のわからない話を自分を通りすぎてペッチャクチャと1時間2時間と続くのだから。
それはもうストレスが溜まる以外何もない。
鉄平はただただ構って欲しかっただけで、そのアピールの仕方がご飯を食べずにただ皿を突くしかなかったのだ。
私は子供を叱る場合のルールを設けている。
1、人に危害や迷惑になる行為。
2、自分自身が危険な行為。
以上、2点である。
これをした時しか、叱ることはない。
鉄平の場合は、1に該当するのだろうか?
いや、しない。
どちらかというと迷惑なのは、大きな声で叱りつけたママの方である。
では、なぜ鉄平が皿をつついてはダメなのか。
家の皿じゃないから?
ただうるさい、目障りだから?
お行儀が悪いから?(これはママも言えた義理ではない)
何故、その行為がダメなのか冷静に話さなければいけない。
未だに考えても考えても、何が悪いのかわからない。
妻と二人で、悶々としてしまった。
もちろん3歳の子供が一度で理解できるわけがない。
辛抱強く、何度も、何度も教えるのだ。それが子育て。
自分の都合や、感情だけで、怒鳴っている親をよく見かける。
スーパーやデパートなどで。
忙しいのは、わかる。
忙しい中で何が一番大切か、何が一番最優先か。
それは子供である。
買い物、仕事、食事、友人、趣味
大人になったらどれも必要だろう。
でも家族を持つということは、これらを捨てる覚悟も必要。
いつでもやめる覚悟が必要。
全部できる人間なんていない。
全部欲しがる子供のまま、親になる人もいる。
私たち夫婦は絶対に自分の都合で物事を決めない。
そんな親もいる。
大丈夫は大きな罠
妻が大丈夫と言ったら大丈夫。
今回は、女が言う「大丈夫」がテーマ
先日、妻と些細な事から大喧嘩になった、しょーもない出来事。
朝から目が腫れて、咳が出て、節々が痛い。
これ、完全に風邪だろって。
「今日は、保育園のお迎え行くから、病院行って来な?大丈夫か?」
と私。
自分で言うのもなんだが、調子の悪い妻に対する言葉かけとしては、パーフェクト!ではないだろうか。
「大丈夫」
妻はたったこの一言。
「いやいや大丈夫じゃないでしょ!、ゲボゲボ咳が出てるよ?」
妻「だから大丈夫、なんともない」
バカなのか?
いや、バカは私だ。ここでしつこく体調の心配をするものだから、とうとう妻がキレる。
もう最近、ブログに書き込んでいても何が悪くて誰が悪いのかわからなくなってくる。
そう、妻がキレる。
妻は自分の体調が悪いと、態度まで悪くなり八つ当たり攻撃が頻繁になる傾向がある。
それは私からすれば、私に甘えているのだが、私も人間。
たまにはムシの居所が悪い時もある。
そんな最中、体調の悪い妻と私の戦いが始まってしまうのだ。
↓↓↓
「全然、大丈夫じゃないよ!何で大丈夫っ言うの!?」
妻「だから、大丈夫って言ってるでしょ!!うっとおしいなー」
「なんだ!その言い方は!!!」
後は想像通りの展開で大喧嘩…
女性にとっての大丈夫。
それは大丈夫ではない。
気づいて欲しいアピールなのだ。
自分の体調に気づいて欲しい。
自分よりも先に動いて欲しい。
これが妻の本心。
これが出来ないものだから、徐々にイライラしてくる。
これを面倒くさいと言っては、夫婦関係は成り立たない。
男女関係とは、面倒くさいが前提なのだから。
妻が風邪!?そんな私も実は…
朝から妻がすこぶる不機嫌で体調が優れない様子。
前日の夕方、喉に軽い違和感を感じたらしい。
大概はそうなったら風邪確定。
案の定、翌日はその違和感が痛みに変わり節々の痛みも出現。
妻の八つ当たり攻撃開始である。
風邪なのに八つ当たりできるって。最高だね!
そんな体力があれば大丈夫なのだが。
頼むから寝ていてくれ。巨神兵よ。
どうか目覚めないでくれ。巨神兵よ。
と言っても、子供の食事だけは作るのが使命に思っている妻は絶対に自分でやりきる。
私がやる選択肢は存在しない。
そんな私も実は…数日前から発熱と頭痛で苦しんでいる。
我が家では私に熱があろうが死のうが、弱みを見せることは許されず妻が不機嫌になるという変わったしきたりがある。
つまりは今回は愚痴である。
- 喉が少し痛い妻の帰ってからの役割
- 仕事帰りに子供を保育園に迎えにいく(車)
- 子供用の食事を作る
- 子供が風呂に入っている間、ミルク&翌日の保育園準備
- 服を着せてミルク飲ませる
以上
- 発熱、頭痛、関節痛、寒気のする私の帰ってからの役割
- 大人用の食事を作る
- 夕方の散歩に連れていく
- 子供を風呂に入れる
- 寝かしつけ
- 食後皿洗い
- 夜の洗濯スイッチオン
- 前日までの洗濯物畳む
- 翌日用のお米を研いで炊飯器予約
以上
その後、気絶
男が頑張るのはわかっている。
熱を出した自分が悪いのも十分わかっている。
ここで何も言わないのが男らしさというのもわかっている。
しかし、ここは個人も特定が難しいネットの世界。言いたい事、思ったことを表現する場。
カッコ悪い自分をさらけ出す場。
誰か優しいコメントを下さい。
熱があって早く寝たいが、妻より先に寝てはいけないのだ。
し、死ぬ…
外食の大切さ
妻は外食が嫌い。
最近外で食べた記憶は、ファストフードのテイクアウトかモールのフードコートくらい。
店で食べるのを嫌う。
今は小さな子供が居る事で、外でゆっくり食べられないのが理由にもなるが実は、まだ子供のいない結婚直後から外食はしていない。
外食自体が嫌なのだ。
もう3年になる。
反対に私は、焼肉やファミレスが大好きであるが、そんなことは考慮してもらえない。
クリスマスも誕生日も全て家での手料理だった。
妻の料理が下手なのではない。
しかし、毎日の料理となると全て同じ味付けになってくる。
人間の舌というもの、毎日同じ味を食べていれば、若干の濃い薄いは分かるが、美味い不味いの判断が全く分からないのだ。
こうやって作ってくれるだけでも幸せであり、感謝しなければいけない。
妻の方も、自分が外食が嫌だと言った手前、例えどんなに体調が悪くても頑張って作ってくれる。
それについては決して何も言ってはいけない。
もはや義務として作っている。
先日、妻からすれば仕方なく食べたファストフードやフードコードの食事は、それはもう美味しいのなんのって。
でもこんなこと妻には絶対に言えない。
自分の舌が正常だったことに気付かされた。
何度も言うが、妻の料理が嫌いなのではない。不味いのでもない。
手料理には感謝している。
これは外食での息抜きの大切さと、外食嫌いな人の話である。
そんな私も、週末になると一応妻に外食の提案を続けている。
断られるのは分かっているので、これといってリサーチや予約はしていないが…
後々になって、どこも食べに連れて行ってもらえてないとか言われない為に、このやり取りは続けなければならない。
こんなことをしているうちに、もう私達夫婦は仲が悪いんじゃないか?と最近、自信が持てなくなってきた。
限りなく妻に合わせる。
これが家庭である。そう信じている。
外食は大切だ。
妻の手料理の有り難みがよくわかるから。
妻を怒らせにくい返答の仕方
なぜ妻がすぐに怒るのか?
それは、男がつまらない返答や一言多い返答をした時、ということに最近わかってきた。
妻の言うことには、反論もダメ。
言い訳もっとダメ。
素直に yes を答える。
ただバカの一つ覚えのYESはご法度。
言い方やニュアンスが大事。
これからあるシーンを例に解説します。
キーワードは「はひふへほ」
シーン1
妻「今日仕事やだなー」
正解:「へー仕事嫌かー」
解説:ここは聞き流すスタイル。無視をするわけではなく、同じ事を繰り返し、そこからは敢えて話しを膨らませず、同調するテクニック。要らぬ会話に広がったら思わぬ地雷地帯に足を踏み入れることになるので、要注意。
シーン2
妻「ご飯スイッチ入れといて」
正解:「はーい!」
解説:ただこの一言でok。
何合炊くのかわからない場合、「じゃあ何合?」とアホみたいに聞いては「じゃあもういい」とキレかねない。ここでは「3合炊いとくね」と報告系がベターで妻をイラつかせることは少ない。もし違えば言ってくるはず。自分で考えたという事がポイント。
シーン3
妻が誰かさんの悪口を言っている場合
正解:「ふーん。へー。そっかー、いろいろな人が居るねー」
「なんかあったら俺に言ってね」
解説:結果、聞く必要なし。何故なら一番、八つ当たりに発展しやすい。
悪口に対し、反対意見でも口走ったら最後。その日は口も聞いてもらえない覚悟が必要。
最後にはフォロー発言も忘れずに。
シーン4
子供を病院に連れていく必要が出た場合
正解:極力「俺が連れて行くよ」
解説:ほとんどの場合、「いいよ」と断られると予想される。実際に連れて行くつもりで午後に休みでもとってみれば、本気が伝わる。子育て中は自分のキャリアは半分諦めた方が、気持ちがスッキリとする。
シーン5
朝起きてすぐ、眠く不機嫌な妻
妻「おはよう」
正解:「おはよう」この一言のみ
解説: ただでさえ不機嫌な状態で、ママ業という1日が始まっているのだから、絶対に余計なことは言ってはいけない。
なるべく視界から消えるようにすること。
いかがでしょう。
全く同じシーンはなくとも、バカにする気持ちで、参考程度で見ていただきたい。
キーワードの「はひふへほ」とは、返答の仕方である。
同調する時「はー、大変だねー」
妻の話に少しリアクションをつけて
「ひー!」
聞き流す時「ふーん、そっかー」
興味ある感じ「へー、そうなんだー」
さらに興味ある感じで食い気味に
「ほー!!それで!?」
これが「はひふへほ」マジック
夫婦の大体のやりとりは、これで成り立つのだ。内容なんてどうだっていい。
返答の仕方が一番大切なのだ。
是非とも使っていってほしい。
ウチの夫は仕事が出来ない 最後の名演説に感動
「ウチの夫は仕事ができない」
主演:錦戸亮
子育てと仕事の狭間で頑張るお父さん達からは賞賛されたであろう、台詞です。
最終回の終盤のシーンですが、なんとノーカットで12分演じ続けたのは驚き。
一番感動した部分を、書き出してみました。
10年後には、ある程度の子育てが終わっていて、仕事に専念できる日々を送っていることでしょう。
だけど、その頃にはもう、僕たちの腕の中には、膝の上には、必死でシャツにしがみつきながらよじ登ってくる、小さなあの子は、いません。
どこまでもまとわりついてきて、やることなすこと全部邪魔してくる、小さなあの子は、いません。
仕事で外回りに出る暑い夏の日、ふと空を見上げた時、あの日の青空を思い出して、過ぎてしまった時間の愛おしさを知ることでしょう。
汗の匂い、ミルクの匂い、粉々になったクッキーのカス、小さなぬいぐるみ、泥だらけの靴下、おしっこの失敗してしまったズボン、カレーまみれのシャツ、「パパー!」とあなたを探す声、バタバタと走る足音、「おかえりー」と響く声、廊下を横切る小さな姿。
それは、今の僕たちの、日常にあるものです。
だけど、その日常こそが、特別なんです。
一生のうちの、たかが数年間の出来事なんです。
その数年間に、過行く今に、数え切れないほどの愛おしさが、死ぬまで忘れられないほどの思い出が、沢山ちりばめられてる。
僕たちは、これから一生、どこにいても何があっても、子を想い、心配し、愛し続け、だけどこの腕の中で、膝の上で、「パパー」と見上げてくるあの子を、ギュッと抱きしめられる時間は、とても、とても短い。
私は思います。
仕事は大切です。
生きていくために必要です。
頑張らなければならない場面もあります。
男にとっては、自分の存在意義を感じられる場所かもしれません。
だけど、私たちは、親になって知ったはずです。
自分の命よりも大切な存在が、この世にあることを。
子供は未来に向かって羽ばたいていきます。
子を育てるということは、未来を育てるということなんです。
豊かな人生とは、どんな人生なのか。
たった一度しかない人生を、ちょっと立ち止まって、考えてみてもいいんじゃないかなぁ。
もう涙が出ました。
正にその通り!
仕事が出来ないとか、したくないとか言い訳しているのではなく、たった一度の人生で何が一番大切なのか改めて確認できました。
早く娘に会いたい。