妻が怒っているワケで

結婚、出産、妻と私の300日戦争

お隣とウチの違い

我が家のお隣さんも同じく子育て世代だ。

 

我が子は11ヶ月、お隣はもうすぐ3ヶ月の子供がいる。

 

今日は妻が外を散歩していた。その時にお隣のご主人も散歩中でばったり会ったらしい。

 

奥さんは居なかった。

「今日は奥さんは?」

と聞いたら

ご主人は

「友達とコンサートに行ってます」

 

へっ!?

 

妻には到底理解出来ないらしい。

 

まだ3ヶ月の子供を家に置いて、自分は遊びに行くことが。

 

でも今はそれくらい普通だ。

核家族化が進む現代、夫婦が交代で育児をする事は当然だ。

妻にはそれが理解できない。

 

私の職場でも、同じ月齢の子供を持つ夫婦がいるのだが、つい先日「子供を実家に預けて旦那とU◯Jに行って来た」とお土産を持って来た。

 

妻には、全く理解できない。

 

でもそんなもんだよ。

 

みんなそうして日々のストレスを発散しているのだ。

 

我が妻にも、是非ともそうして欲しいのだが、絶対に自分が楽しもうなんて気は起きないのだ。

 

とにかく真面目で、几帳面で、完璧主義な妻である。

 

愛すべき妻である。

 

 

 

将来は「うつ病」予備軍だなこりゃ…

結婚はもういい。

たまたまテレビで不倫やら再婚やらが出てくる番組を見ていた時の話。

 

妻「もし、私が死んだら再婚する?」

 

私「いや、もういい。誰としても同じことでシバかれるから。」

 

妻「フッ(笑)」

終了。

 

私は結婚というより女がもういい。

 

まずモテないし…

 

だから

風俗に行きます。

 

という話。

新しい名言というか家訓誕生!?

久しぶりの投稿。

 

この1ヶ月、何も無かった訳ではない。

 

むしろあり過ぎて、ブログに書き込む隙間が無かった。

 

今日は、我が家の新しい家訓誕生の記録でもしておこうと思う。

 

妻は、何かにつけてスグに導火線に火が点きやすく、感情のセーブをすることなく自宅では過ごしている。

 

当然、仕事中は違う。外でそんな事をしていては「危ない奴」認定である。

とはいえ、スグに顔にも出るため、実は外でもまあまあ扱い難い人間になっているのではないかと疑っている。

 

外の事なので、私には全く関係ない。

 

 

感情のセーブが利かない。

ということは、我慢が利かないということだ。

 

夫婦が長いこと一緒にいることで垣間見えるいわゆる嫌な部分。

例えば、ちょっとした一言や、意図しない言動。

 

しかしそれは見逃したり、慣れたり、それも受け入れて好きになったりするのが普通で、いちいち感情的になっていては、夫婦共倒れになる。

 

だが、その世間通りの妻如くいかないのが、我が妻。

 

少しでも気に入らない言動であるなら。もう流すことは出来ない。

 

たちまち感情のスイッチオンで、一日中〜2、3日は口さえきかなくなるのだ。

 

こっちも気が狂いそうになってくる。

 

他のブログでも言っているが、家で妻が怒っているいる理由のほとんどが夫にある事実は変わらない。

 

日々、学習。日々、成長。である。

 

妻が怒らないこと。いつも機嫌が良いこと。

これが、結果的に家族全員の健康に直結する。

これは結婚している全世界の男子は肝に銘じたほうが良い。

 

「妻が怒らないこと。」ここが重要。

 

妻が怒る様なことはしてはいけないのだ。

 

では逆はどうだろうか?妻は自分が怒る様なことは私にはしないのだろうか。言わないのだろうか。

 

私に対しても人格を否定する様な、あまり言えない内容を口にする事が多い。

 

そんな事があるはずもなく、我が家に家訓が誕生した。

 

 

 

妻「私はいいの。」

 

私「…うん。」

 

妻「私がルール。」

 

クソみたいな名言だが、これからも使われて行くだろう。

 

「私はいいの」

 

 

家庭に笑顔はいらない

妻の本心に迫る。

 

家庭に笑いは求めてはいけない。

 

私が目指して努力してたものが音を立てて崩れ去る。全くの無意味だった。

 

私は、外ではどちらかというと笑わないし少し怖い印象さえある。家では良く喋り、よく冗談も言う。

 

しかし、そこに大きな地雷が埋まっていることを妻に教えられた。

 

多くの女性は、冗談なんか大嫌いだ。ムカッ腹が立ってくる。

そのくっだらない冗談の中の一言が、いつも喧嘩の原因だった。

 

全ては私が悪かったのだ。

 

妻は外で良く笑い。

家では常にイライラと闘っていたのだ。

私に。

 

なんと私が家庭に求めていたものは、妻は必要としていなかったのだ。

 

妻はただ毎日を必死に生きている。

妻は素晴らしい。

 

夫婦仲良く、笑いに溢れたなんてあり得ない。

 

くだらない夢は、儚く消えた。

 

「家庭に笑いはいらない」

その通りかもしれない。これが現実だろう。

 

偶然の笑い程度でよい。

 

妻を見習って、毎日を必死に生きるのだ。

 

女は現実主義。今日、明日を目指す。

男は理想主義。3年5年10年先の理想を目指す。

 

根本的に違うのだ。

喧嘩しない夫婦なんて存在しないのだ。

 

しばらく妻には好きな様にしてもらい。

なるべく空気の様になるしかないのだ。

妻が怒るワケについて話してくれた

とうとう私も堪忍袋の尾が切れて、どうしてそんなにスグに怒るのかとうとう話し合いとなった。

 

例えば、夫婦でもお互いに腹の立つことがあり、それは平等。双方が我慢をしている。

 

今日の妻の一言ですごくスッキリとした。

 

女はいつまでも昔の言われたことをずっと覚えている。

 

男は嫌なことは忘れる。そしてまた同じ事を繰り返す。

 

だから男は馬鹿なのか?

 

至極スッキリと入ってきた。

 

妻曰く「特に私は、溜め込みやすい性格。それを知ってるのだから、余計な一言は絶対に言ってはいけない。今までも全部あなたの一言で怒って来た。何も言わなければ済んだことばかりだ」

まさにその通りだった。

逆に私は妻に傷付くことを言われても、全部は覚えていない。

だからまた同じ事をしてしまう。

 

しかし、腹が立つのが妻は自分が傷付けた一言については覚えていないと言う勝手なものだった。

 

人間関係なんてものは、儚く脆い。

 

本心でなくてもたった一言で、崩れ去る。

 

それは夫婦であっても同じ。固い絆なんてものは存在すらしないのだと。

 

今日は、良く教えられた。

結婚後初の晩御飯抜き

女性は感情で生きる。男性は理性で生きる。

 

喧嘩の時もそう、妻は自分の中で解決したいから、問題がグレーのまま進行し長い時で1週間は不機嫌が続く。

 

対して、理性派の私はとっとと解決して、次の楽しい事をやっていきたい。

悩んでる時間と女のヒステリーの時間が人生において何より無駄と考えている私は、白黒つけることを望む。

 

男と女の根本的な違いなので、手の施しようは無い。

 

妻は一度機嫌を損ねると、コミニュケーション機能や生活活動をシャットダウンするため、その場でボーッとした状態になり、動かなくなる。

 

最近は、その行動が鬱病患者の症状そのものであると疑うほどである。

 

鬱病患者も、自分の意図しない事態が起きることを極度に嫌がる傾向にあり、いつもしている活動が停止することは少なくない。

 

突然、やる気が無くなるらしい。

 

喧嘩という程でもないが、将来のことで話し合いの場を設けた時のこと。

 

そもそもグレーで進行したいのだから、将来の話や今の悩みなんか話したいはずは無い。

 

ただのストレスとなる。

 

男は黙って、見守り、受け止め、たまに受け流す。そうやって家族を守るものだと学んだ。

 

決して求めてはいけない。

 

妻にストレスを与えた後は、食欲まで奪ってしまい、大変申し訳ないことをした。

 

もう作る気が無くなってしまった。

 

しかし、晩御飯抜きは体にはそれほど悪くは無い。

晩御飯はむしろ食べすぎてしまうため、逆に不健康だ。

 

たまには妻の体調に合わせて晩御飯抜きもやってみようと思う。

あの時の彼女は何処へpart2

仕事と育児の両立。一体なんのため?

 

家計の為? 自分の夢の為?

 

妻は毎日、イライラしまくり。態度悪く。常に一触即発。 その原因は、この私。

 

私が妻の思った通りの行動が出来ていないからだ。

 

先日、娘が熱を出した時、私が仕事を午前中休めることを伝えたところ、妻としては「なぜ、1日休まないんだっ!?、私が仕事を休むことになった」と怒らせてしまった。

 

私はそんな悪気はなく、ただお互いで情報できるところはないかと、提案したつもりだったが妻の逆鱗に触れることになってしまった。

 

妻の言って欲しいことやって欲しいこと、かゆいところに手が届かないととうとう怒りだしてしまう。

 

自分の夫に対し、ずっとそんな態度で生きていかなくていけないと思うと不憫でならない。

 

目先の安定だけのために、する仕事なんてどんどんと幸せから遠のいていく。

 

どんどんと笑顔がなくなる。

 

妻の笑った顔が見たい。

 

また以前のようにお互いを思いやって理解し合って. 同じ方向に進んでいきたい。

 

今、私は幸せではない。

 

子供ができ、家を持ち、何不自由のない普通の生活である。

 

でも妻は笑っていない。

 

これは私が求めていた夢ではない。

 

妻が悪いのではない、がんばりすぎているだけだ。

 

妻は仕事が嫌いではない、やっていきたいと思っている。決して無理をして仕事をしているわけではない。

 

その思いは尊重したいと考えている。

 

しかし、イライラしている。

 

彼女にとっての幸せってなんだろう? 

 

今は、私からするどんな話し合いや提案にも耳を貸してくれない。

 

しばらくは見守るしかないだろう。

 

何があっても妻を愛している。