妻が怒っているワケで

結婚、出産、妻と私の300日戦争

外食の大切さ

妻は外食が嫌い。

 

最近外で食べた記憶は、ファストフードのテイクアウトかモールのフードコートくらい。

 

店で食べるのを嫌う。

 

今は小さな子供が居る事で、外でゆっくり食べられないのが理由にもなるが実は、まだ子供のいない結婚直後から外食はしていない。

 

外食自体が嫌なのだ。

 

もう3年になる。

 

反対に私は、焼肉やファミレスが大好きであるが、そんなことは考慮してもらえない。

 

クリスマスも誕生日も全て家での手料理だった。

 

妻の料理が下手なのではない。

 

しかし、毎日の料理となると全て同じ味付けになってくる。

人間の舌というもの、毎日同じ味を食べていれば、若干の濃い薄いは分かるが、美味い不味いの判断が全く分からないのだ。

 

こうやって作ってくれるだけでも幸せであり、感謝しなければいけない。

 

妻の方も、自分が外食が嫌だと言った手前、例えどんなに体調が悪くても頑張って作ってくれる。

 

それについては決して何も言ってはいけない

 

もはや義務として作っている。

 

先日、妻からすれば仕方なく食べたファストフードやフードコードの食事は、それはもう美味しいのなんのって。

でもこんなこと妻には絶対に言えない。

 

自分の舌が正常だったことに気付かされた。

 

何度も言うが、妻の料理が嫌いなのではない。不味いのでもない。

 

手料理には感謝している。

 

これは外食での息抜きの大切さと、外食嫌いな人の話である。

 

そんな私も、週末になると一応妻に外食の提案を続けている。

断られるのは分かっているので、これといってリサーチや予約はしていないが…

 

後々になって、どこも食べに連れて行ってもらえてないとか言われない為に、このやり取りは続けなければならない。

 

こんなことをしているうちに、もう私達夫婦は仲が悪いんじゃないか?と最近、自信が持てなくなってきた。

 

限りなく妻に合わせる。

これが家庭である。そう信じている。

 

外食は大切だ。

妻の手料理の有り難みがよくわかるから。

 

妻を怒らせにくい返答の仕方

なぜ妻がすぐに怒るのか?

 

それは、男がつまらない返答や一言多い返答をした時、ということに最近わかってきた。

 

妻の言うことには、反論もダメ。

 

言い訳もっとダメ。

 

素直に yes を答える。

ただバカの一つ覚えのYESはご法度。

 

言い方やニュアンスが大事。

 

これからあるシーンを例に解説します。

キーワードは「はひふへほ」

 

シーン1

妻「今日仕事やだなー」

正解:「へー仕事嫌かー」

解説:ここは聞き流すスタイル。無視をするわけではなく、同じ事を繰り返し、そこからは敢えて話しを膨らませず、同調するテクニック。要らぬ会話に広がったら思わぬ地雷地帯に足を踏み入れることになるので、要注意。

 

シーン2

妻「ご飯スイッチ入れといて」

正解:「はーい!」

解説:ただこの一言でok。

何合炊くのかわからない場合、「じゃあ何合?」とアホみたいに聞いては「じゃあもういい」とキレかねない。ここでは「3合炊いとくね」と報告系がベターで妻をイラつかせることは少ない。もし違えば言ってくるはず。自分で考えたという事がポイント。

 

シーン3

妻が誰かさんの悪口を言っている場合

正解:「ふーん。へー。そっかー、いろいろな人が居るねー」

「なんかあったら俺に言ってね」

解説:結果、聞く必要なし。何故なら一番、八つ当たりに発展しやすい。

悪口に対し、反対意見でも口走ったら最後。その日は口も聞いてもらえない覚悟が必要。

最後にはフォロー発言も忘れずに。

 

シーン4

子供を病院に連れていく必要が出た場合

正解:極力「俺が連れて行くよ」

解説:ほとんどの場合、「いいよ」と断られると予想される。実際に連れて行くつもりで午後に休みでもとってみれば、本気が伝わる。子育て中は自分のキャリアは半分諦めた方が、気持ちがスッキリとする。

 

シーン5

朝起きてすぐ、眠く不機嫌な妻

妻「おはよう」

正解:「おはよう」この一言のみ

解説: ただでさえ不機嫌な状態で、ママ業という1日が始まっているのだから、絶対に余計なことは言ってはいけない

なるべく視界から消えるようにすること。

 

いかがでしょう。

全く同じシーンはなくとも、バカにする気持ちで、参考程度で見ていただきたい。

キーワードの「はひふへほ」とは、返答の仕方である。

 

 

同調する時「はー、大変だねー」

 

妻の話に少しリアクションをつけて

「ひー!」

 

聞き流す時「ふーん、そっかー」

 

興味ある感じ「へー、そうなんだー」

 

さらに興味ある感じで食い気味に

「ほー!!それで!?」

 

 

これが「はひふへほ」マジック

 

夫婦の大体のやりとりは、これで成り立つのだ。内容なんてどうだっていい。

返答の仕方が一番大切なのだ。

 

是非とも使っていってほしい。

 

ウチの夫は仕事が出来ない 最後の名演説に感動

土曜ドラマ

「ウチの夫は仕事ができない」

主演:錦戸亮

 

子育てと仕事の狭間で頑張るお父さん達からは賞賛されたであろう、台詞です。

 

最終回の終盤のシーンですが、なんとノーカットで12分演じ続けたのは驚き。

 

一番感動した部分を、書き出してみました。

 

 

 

10年後には、ある程度の子育てが終わっていて、仕事に専念できる日々を送っていることでしょう。

だけど、その頃にはもう、僕たちの腕の中には、膝の上には、必死でシャツにしがみつきながらよじ登ってくる、小さなあの子は、いません。

どこまでもまとわりついてきて、やることなすこと全部邪魔してくる、小さなあの子は、いません。

仕事で外回りに出る暑い夏の日、ふと空を見上げた時、あの日の青空を思い出して、過ぎてしまった時間の愛おしさを知ることでしょう。

汗の匂い、ミルクの匂い、粉々になったクッキーのカス、小さなぬいぐるみ、泥だらけの靴下、おしっこの失敗してしまったズボン、カレーまみれのシャツ、「パパー!」とあなたを探す声、バタバタと走る足音、「おかえりー」と響く声、廊下を横切る小さな姿。

それは、今の僕たちの、日常にあるものです。

だけど、その日常こそが、特別なんです。

一生のうちの、たかが数年間の出来事なんです。

その数年間に、過行く今に、数え切れないほどの愛おしさが、死ぬまで忘れられないほどの思い出が、沢山ちりばめられてる。

僕たちは、これから一生、どこにいても何があっても、子を想い、心配し、愛し続け、だけどこの腕の中で、膝の上で、「パパー」と見上げてくるあの子を、ギュッと抱きしめられる時間は、とても、とても短い。

私は思います。

仕事は大切です。

生きていくために必要です。

頑張らなければならない場面もあります。

男にとっては、自分の存在意義を感じられる場所かもしれません。

だけど、私たちは、親になって知ったはずです。

自分の命よりも大切な存在が、この世にあることを。

子供は未来に向かって羽ばたいていきます。

子を育てるということは、未来を育てるということなんです。

豊かな人生とは、どんな人生なのか。

たった一度しかない人生を、ちょっと立ち止まって、考えてみてもいいんじゃないかなぁ。

 

 

もう涙が出ました。

 

正にその通り!

 

仕事が出来ないとか、したくないとか言い訳しているのではなく、たった一度の人生で何が一番大切なのか改めて確認できました。

 

早く娘に会いたい。

男の仕事が忙しいは大抵はウソ

女は子育て、男は仕事。

 

共働きが当たり前の時代で、これを通すには、一つの条件がある。

 

それは、ズバリ。

 

 

年収だ。

 

 

私の場合、年収は500万に行かないくらい。

 

だから私より年収の低い男は、絶っっっ対に仕事を言い訳にしてはいけない。

 

仕事で遅いから…子育てが妻任せなのは、大きな間違いである。

 

妻も働いている。

 

私より勤務時間は若干短いが正社員として頑張って働いている。

 

私の部署のトップは、私とそれほど年収は変わらない。

ちなみに大学院卒。

 

しかし、毎日帰りは21時22時。

 

日曜も研修やら、横の繋がりの付き合いやら、仕事を頑張っている。

 

誰が凄いって、上司の奥さんである。

 

よくそれで何も言わない事だ。

 

 

その上司はよく言う。

仕事は断ってはいけない。今は無益でも、自分の実績になり利益に繋がる。

 

その上司、40歳…

 

一体、いつ利益がでるんだ!?

 

いつまで奥さんと子供を待たせておくんだ!?

 

あなたを見ていても夢を感じない!

 

 

仕事とは、代償と引き換えに対価を獲ること。

すなわち、労働がお金に換算されていなければ意味がない。

 

ウチの上司の言うことは、自分の経験や勉強にはなるのだが、そんなことは家に居る嫁子供には関係ない。

 

だってもう40歳だもの!

 

20代の下積みで家族にも我慢させたとか言う美談なら理解できる。

 

でもでも

 

年収400万強の40歳が仕事を理由に忙しくて家に居ないなんて、

 

 

言語道断!

 

もう早く家に帰りなさいよ。

 

子育てしなさいよ。

 

子供はすぐに大きくなるんだから!

 

あなたの仕事なんてどうにでもなる、安い仕事だよ〜

(これは言い過ぎ(≧∇≦))

 

奥さん、夫が仕事が忙しい事を理由にしてたら、大概は何とでもなるよ!

 

家に帰る努力をしていないだけさ。

 

 

妻の生理前症状に気が狂いそうな件

母親を除く女性との生活を経験したことのある男性であれば、ほぼ100%は直面するであろう事態。

 

生理前の状態

 

イライラ、一触即発

導火線のないダイナマイト

 

例えるのは程々にしておいた方がよい。

 

気が狂いそうなのは、その症状の事ではない。とだけ言いたい。

 

だって、わかってる。

女性が毎月それらで辛いのはわかってるんだ。

 

いや。わかっているなんていっては申し訳ない。

知っているんだ。

 

だからこそ、その時期が近ずいたら、なるべくそっとしておこうと思っている。

 

なのにだ!

 

なぜ、わざわざ絡んで来て、イライラを拗らせんるんだ!?

 

私は君の目につかない2階にいたじゃないか!?

私は、余計な口は挟まず空気の様に成りすまし、必要以上言葉を発しないのが乗り切りスタイル。

 

しかし、なぜかわざわざ、不機嫌の波状攻撃を私に仕掛けてくる妻。

 

この当たりで妻の鬱憤が晴らせるのであれば、喜んでお受けしようじゃないかー

 

が、しかし

妻の場合は違う。

 

自分から突っかかって来たのに、「もうっ!」と、まるで私から何か要らない発言をしたとばかりな物言いをしてくる。

 

 

もはや、避けようがない。

 

甘んじて受けなければいけない。

 

妻も妻である。

自分から突っかかって来れば、結局自分への諸刃の剣なのに…

 

結果、自分がどんどんとシンドクなってくる。

 

・ほおっておいてほしい

・話しを聞いてほしい

・一人になりたい

・適度な気遣いはほしい

・静かに寝ていたい

など

 

女性も個々で差はあるものの、自分なりのメンタル管理法は持っているだろう。

 

ただ妻の場合は、自分から絡んで来ては不機嫌になるをひたすら繰り返すのだから、こっちの気が狂ってくる。

 

そんな時の私のメンタル術は、ネットの世界にどっぷり、ひたすらYouTubeに逃げ込みことで、爆発しないで済んでいる。

後は漫画喫茶に逃げこみ後は時間が過ぎるのを待つだけ。

 

結婚って一体…

 

誰でも起こり得る話。

 

当然の出来事。

 

これが、幸せの一部なのである。

妻の関白宣言

とうとう妻の宣言が出た日

 

私が嫁に行く前に言っておきたい事がある
かなりきびしい話もするが私の本音を聴いておけ
私より先に寝てはいけない私より後に起きてもいけない
家事はやれ いつも清潔でいろ
来る範囲で構わないから
忘れてくれるな仕事も出来ない夫は 
別に家庭を守れって欲しいとは思わない 
私には私のやり方でしかできない事もあるから
それ以外は口出しせず黙ってそこにいろ 
  
あなたの親より私の親が一番大切にしろ
姑小姑はまっぴらごめん 愛なんてない 
人の陰口大好きそれからつまらぬシットをする 
あなたの浮気はダメ したら離婚 
するんじゃないかな そん時は覚悟はしておけ
幸福はあなた次第で私は苦労はしたくないのだから 
あなたは此処に家を買ったのだから 
帰る場所は無いと思えこれからがローン人生 
  
子供が育って年をとったら私より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい私より早く逝ってはいけない
何でもいいから私の手を握り涙のしずくふたつ以上こぼせ
あなたのお陰でいい人生だったと言われる様頑張れ
忘れてくれるな私の愛する夫は愛する男は生涯あなただけ 
忘れてくれるな私の愛する夫は愛する男は生涯あなただけと思わせな

 

さ○ま○し 関白宣言をパロってみました。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

少し遊んでみました。

夫婦は同じ方向を見つめてはイケない

「愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである」

 

ちょくちょく、よく聞く言葉。

 

これは

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの名言ということで有名らしい。

 

夫婦でもあてはまるのだろう…とは、私は思わないのだ。

 

なんとなく、いい言葉っぽいから、夫婦関係で悩んだ時にこの言葉で慰められている人もいるとは思う。

しかし、これは夫婦お互いがめっちゃくちゃに良くできた人格者で、大人としての器があって、信頼関係バッチリの場合に限ると言いたい。

 

 

私のブログでは、妻を始め女性の子育てや仕事に奮闘する素晴らしさについて綴っている。

 

よく考えてみてほしい。

 

お互いが同じ方向って…

妻は毎日のこと、明日のことで精一杯生きているのだ。毎日、イライラしながら。

 

果たして、その「方向」とらを向く余裕はあるのだろうか?

 

無い。

 

 

ここで、私も提言したい。

 

「愛とはお互いに見つめ合うことではなく、相手が見ているものは何なのか知り、見守ることだ。」

 

逆説的だがお互いを見ることは、我ら庶民には必要なのだ。

 

同じ方向を見ていたとしても、妻が私と同じ位置からその方向を見ているとは限らないからだ。

 

だからこそ相手のことをしっかり見ないとイケないと思う。

 

ウチの場合で言うなれば、子育てに目が向いている妻へ私が目を向けるという感じである。

野球の外野から内野への中継プレーの様な…

余計分かりにくいか(笑)

 

妻が見ている方向を一緒に見ることこそが、愛と信じ生きていこうと思う。