妻が怒っているワケで

結婚、出産、妻と私の300日戦争

一回の大きな優しさより、毎日の小さな優しさが欲しい

今朝から妻は不機嫌。

 

これはもう慣れたのでどうでもよい話だが、私は妻がどちらかと言えば温厚で辛抱強いと思ったからこそ結婚に踏み切ったのだが、全くの逆であった。

 

他の記事にもあるが、すぐにキレて、思い通りにならないと収集がつかない。

 

結婚してからわかったのだから、恥ずかしい事この上ない。

 

では、私の事を逆に妻はどう思ってるのか?

 

勇気を出して聞いてみた。(聞かなきゃいいのに…)

 

妻「もっと気が利いて、細かな優しさがある人だと思った。」

 

衝撃が走ったわ(笑笑)

私の過去の記事を読んだ方々に、今以上にできる事のアドバイスをお願いします!!

本当に!

 

兎角妻からすれば、全然物足りない夫らしい。

 

そういった日々を過ごしているうちに妻の夫に対する、トキメキ的なものは消滅したのだろう。

 

 

で、結果 セックスレスと…

 

マジで泣けて来る。

 

でも妻の前では絶対に弱音は吐かない。いや、吐けない。

 

毎日の小さな優しさ…

考えてみた。

 

・妻の好きなアイスを絶えずに補充しておく

 

・子供の風呂や食事など、体力系は率先して行う。妻にはさせない。

 

・夕食の片付けはする

 

・極力、妻が先に寝られる様に待つ

 

・子供が熱を出したら病院へ連れていく

 

・洗濯を忘れずにやる(月に1回くらい回し忘れあり)

 

・溜まった段ボールは、捨てに行く(妻の通販で出たやつ)

などなど。

考えれば小さな働きはまだありそう。

 

これらは、毎日私がやっている事なので、これは小さな優しさには認定されていないという事だろう。

 

妻の言う、毎日の小さな気遣いや優しさについて、これからも自分で考えて行きたいと思う

_:(´ཀ`」 ∠):

 

一体何なのか?優しさ…

 

 

男の子育てで気づいた事

今回は、世の父親ディスる内容です。

 

娘が風邪気味なので、たまたま仕事が休みだった私が病院へ連れて行くことになった。

 

小児科はどこも混んでいて、世間ではこんなにも同じ日に子供が熱を出すのかと関心を持ってしまった。

 

発熱は、突然だから仕方ない…

 

 

さて、本題。

 

私は娘と二人で受診した。

1歳になったばかりの娘で、まだ重病ではなかった為元気いっぱいに待合室を動き回っていたので大変だった。

 

いつものことなので、特には気にならず余裕のある私。

 

ふと周りを見てみると、当たり前といえばそうなのが、母親と子供のペアばかり。

 

父親と子供のペアは私だけだった。

他の父親も後から入ってきたが、それは妻に付き添いただ子供を抱いているだけで何かの役に立っているとは見えない。

ウチの地域レベルの話だが、父親が子育てをすることは極珍しい。

 

私は、それを何と情けないことか…と思っている。

 

病院に連れて行くと言っても、ただ連れて行き診せるわけではない。

病状の報告、受付、支払い、各種証明や保険証の提示、オムツの交換、薬の説明を聞く、諸々を一人でこなさなければならない。

 

世の母親たちは、当然それをこなしている。それも毎日。当たり前に。

 

本当に頭がさがる。

 

もちろん外で自分以外に父親、子供のペアを見ないわけではない。しかしそれは、子供がある程度大きくなって話せる様になり、コミュニケーションが取れる場合しか見たことがない。

 

さらに子育てと言えるほどではなく。休日に公園に連れていく程度である。自分はスマホをポチポチと…

 

鼻で笑ってしまう…

 

それで、やった気になっているなんて。

 

それで自分の妻から感謝されているとでも思っているのか?

自己満である、ただ子育てした気になっているだけ。

 

 

我々、共働き世代。

 

なぜ女性だけが子育てしなければいけないのか?男は仕事さえしていればいいのか?

馬鹿げている。

 

仕事を一生懸命なんて、ただの言い訳である。

仕事を一番に持っていけるのは、せいぜい年収700万以上になってからにしてもらいたい。

 

私も恥ずかしながら、年収は500万いかない程度しかない。

 

だから仕事さえしていればいいとは到底思えないのだ。

本当に恥ずかしい…

 

だから私は今しかできない、子育て。子供が大きくなって行く時間を見届けるのだ。

 

だから子育て仕事は、当たり前の様にできなければいけない。

妻と同等レベルにだ。離乳食だけは中々腕が上がらないが(笑)

 

 

「世の中に年収700万にも満たないくせに、子育てやっている気になっている愚かな父親はいねぇ〜が〜」

 

しっかりしろ!男!とつぶやいておこう。

 

逆に、稼ぎがしっかりしてれば、子育てなんかしなくていいとも逆の考えを持っている私なのでした。

 

そんな一日。

No thankyouよりもHappy thankyouがいい

何をしても、どんな事を言っても"No thankyou"

 

つまり、断られる。

 

「今日は、職場へ送るよ」

「いいよ」と断られる。

 

朝、妻よりも早起きをして朝食と弁当を作っていると、

「もういいよ、代わるよ。」

 

車の運転中、

「いいよ、代わるよ」

 

買い物に同行しようと予定すると、

「いいよ、疲れてるでしょ」

 

私は妻には結婚してからは"No"と言われ続けている。

 

この"No"がどれだけ、私を傷つけているかは妻は知らない。

 

"No thank you"

相手の好意に対して第一声が「ありがとう」

がない。

 

私は妻に多くを求めるつもりは毛頭無い。

 

ただ、妻の"Happy thankyou"が欲しいだけ。

「嬉しい、ありがとう」

 

たったこの一言。他は要らない。

 

嫌々、やっているのではない。どれも自分から進んでやっているものばかりに"No thankyou"が返ってくる。

 

これを聞かされるたびに最近、気が狂いそうになってきた。

 

ただ可愛い妻の喜ぶ顔が見たいだけなのだ。

 

 

言葉って、かなり大事。

夫婦間では、感謝の気持ちと言葉、素直な気持ちを常に持ち合わせるべきだ。

 

もしも、この記事を読んでくれた妻の立場である人は、自分の夫に頼ってあげて欲しい。

 

そして、夫が自分から進んでした好意については、是非"Happy thankyou"を言ってあげて欲しい。

 

 

お隣とウチの違い

我が家のお隣さんも同じく子育て世代だ。

 

我が子は11ヶ月、お隣はもうすぐ3ヶ月の子供がいる。

 

今日は妻が外を散歩していた。その時にお隣のご主人も散歩中でばったり会ったらしい。

 

奥さんは居なかった。

「今日は奥さんは?」

と聞いたら

ご主人は

「友達とコンサートに行ってます」

 

へっ!?

 

妻には到底理解出来ないらしい。

 

まだ3ヶ月の子供を家に置いて、自分は遊びに行くことが。

 

でも今はそれくらい普通だ。

核家族化が進む現代、夫婦が交代で育児をする事は当然だ。

妻にはそれが理解できない。

 

私の職場でも、同じ月齢の子供を持つ夫婦がいるのだが、つい先日「子供を実家に預けて旦那とU◯Jに行って来た」とお土産を持って来た。

 

妻には、全く理解できない。

 

でもそんなもんだよ。

 

みんなそうして日々のストレスを発散しているのだ。

 

我が妻にも、是非ともそうして欲しいのだが、絶対に自分が楽しもうなんて気は起きないのだ。

 

とにかく真面目で、几帳面で、完璧主義な妻である。

 

愛すべき妻である。

 

 

 

将来は「うつ病」予備軍だなこりゃ…

結婚はもういい。

たまたまテレビで不倫やら再婚やらが出てくる番組を見ていた時の話。

 

妻「もし、私が死んだら再婚する?」

 

私「いや、もういい。誰としても同じことでシバかれるから。」

 

妻「フッ(笑)」

終了。

 

私は結婚というより女がもういい。

 

まずモテないし…

 

だから

風俗に行きます。

 

という話。

新しい名言というか家訓誕生!?

久しぶりの投稿。

 

この1ヶ月、何も無かった訳ではない。

 

むしろあり過ぎて、ブログに書き込む隙間が無かった。

 

今日は、我が家の新しい家訓誕生の記録でもしておこうと思う。

 

妻は、何かにつけてスグに導火線に火が点きやすく、感情のセーブをすることなく自宅では過ごしている。

 

当然、仕事中は違う。外でそんな事をしていては「危ない奴」認定である。

とはいえ、スグに顔にも出るため、実は外でもまあまあ扱い難い人間になっているのではないかと疑っている。

 

外の事なので、私には全く関係ない。

 

 

感情のセーブが利かない。

ということは、我慢が利かないということだ。

 

夫婦が長いこと一緒にいることで垣間見えるいわゆる嫌な部分。

例えば、ちょっとした一言や、意図しない言動。

 

しかしそれは見逃したり、慣れたり、それも受け入れて好きになったりするのが普通で、いちいち感情的になっていては、夫婦共倒れになる。

 

だが、その世間通りの妻如くいかないのが、我が妻。

 

少しでも気に入らない言動であるなら。もう流すことは出来ない。

 

たちまち感情のスイッチオンで、一日中〜2、3日は口さえきかなくなるのだ。

 

こっちも気が狂いそうになってくる。

 

他のブログでも言っているが、家で妻が怒っているいる理由のほとんどが夫にある事実は変わらない。

 

日々、学習。日々、成長。である。

 

妻が怒らないこと。いつも機嫌が良いこと。

これが、結果的に家族全員の健康に直結する。

これは結婚している全世界の男子は肝に銘じたほうが良い。

 

「妻が怒らないこと。」ここが重要。

 

妻が怒る様なことはしてはいけないのだ。

 

では逆はどうだろうか?妻は自分が怒る様なことは私にはしないのだろうか。言わないのだろうか。

 

私に対しても人格を否定する様な、あまり言えない内容を口にする事が多い。

 

そんな事があるはずもなく、我が家に家訓が誕生した。

 

 

 

妻「私はいいの。」

 

私「…うん。」

 

妻「私がルール。」

 

クソみたいな名言だが、これからも使われて行くだろう。

 

「私はいいの」

 

 

家庭に笑顔はいらない

妻の本心に迫る。

 

家庭に笑いは求めてはいけない。

 

私が目指して努力してたものが音を立てて崩れ去る。全くの無意味だった。

 

私は、外ではどちらかというと笑わないし少し怖い印象さえある。家では良く喋り、よく冗談も言う。

 

しかし、そこに大きな地雷が埋まっていることを妻に教えられた。

 

多くの女性は、冗談なんか大嫌いだ。ムカッ腹が立ってくる。

そのくっだらない冗談の中の一言が、いつも喧嘩の原因だった。

 

全ては私が悪かったのだ。

 

妻は外で良く笑い。

家では常にイライラと闘っていたのだ。

私に。

 

なんと私が家庭に求めていたものは、妻は必要としていなかったのだ。

 

妻はただ毎日を必死に生きている。

妻は素晴らしい。

 

夫婦仲良く、笑いに溢れたなんてあり得ない。

 

くだらない夢は、儚く消えた。

 

「家庭に笑いはいらない」

その通りかもしれない。これが現実だろう。

 

偶然の笑い程度でよい。

 

妻を見習って、毎日を必死に生きるのだ。

 

女は現実主義。今日、明日を目指す。

男は理想主義。3年5年10年先の理想を目指す。

 

根本的に違うのだ。

喧嘩しない夫婦なんて存在しないのだ。

 

しばらく妻には好きな様にしてもらい。

なるべく空気の様になるしかないのだ。